豊臣政権から徳川氏の政権である江戸幕府に交代してからは次第に禁止令は緩まり、また江戸幕府は自己の権威を京の朝廷の上に置こうとしていた傾向から、同様の菊紋は仏具の金具・彫刻や和菓子の造形、又は暖簾の図柄に用いられるなど、一般人への使用・普及に拍車を掛けた。 比較的家紋の使用には寛容な幕府であったということも影響しているが、徳川氏の家紋である葵紋の使用は厳格に禁止している。
その後、明治新政府になると皇室の十六八重菊の皇室以外の使用は全面的に禁じられる。親王家も使用規制の対象になり、八幡や泉涌寺といった皇室ゆかりの神社や仏閣に対しても規制が行われ、徐々に皇室の菊紋の権威は復活していくことになる。現在、天皇と皇室の御紋である「十六八重菊」が慣習法上の国章の扱いを受けている。十六八重菊に意匠的には似ている十六菊は日本国の発行するパスポートや議員バッジなどのデザインとして取り入れられている。今のところ日本では特定の菊紋を国章とする法令はない。商標法第4条第1項第1号には「国旗、菊花紋章、勲章、褒章又は外国の国旗と同一又は類似の商標」について、商標登録要件を満たさないと定められている。
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桐紋が皇室御用達の紋になったのは元寇襲来の少し前の鎌倉時代中期と言われる。家紋としてよく見られる五三桐やそれにまるで囲ったものは、『太閤記』や伝承などで農民出身とされている豊臣秀吉が用いたことから「家紋のないほどの一般庶民がなんらかの事情で家紋を必要とする場合(紋付袴の着用等)に用いる家紋」としても使用され、上流階級とは逆の理由で庶民の間で一般的に流布した。また、現在では貸衣装の紋としてよく使われる。