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ヨーロッパ封建領主の没落

ヨーロッパにおける封建領主、とくに諸侯や騎士の没落は、徐々に進行したものではあるが、それにはいくつかの画期があった。

その第一は、11世紀末から13世紀後半にかけての十字軍の東征である。十字軍の資金調達の必要から教皇や皇帝、国王が徴税制度を発達させる一方、諸侯や騎士の武器や遠征費用は基本的には自弁であり、また、領地をしばしば留守にすることも余儀なくされた。遠征先の中近東でも皇帝、国王の指揮下に入った。これは、それまで確保していた諸侯、騎士の地位を下落させるものであった。また、これに前後して貨幣経済が進展し、封建領主は領主直営地を農民保有地にかえ、生産物や貨幣で地代を徴収するようになった。

第二は、14世紀から15世紀にかけての英仏間の百年戦争である。これは、現在のイギリスとフランスの国境線を画定した戦争であり、両国の国家体系や国民の帰属意識は、この戦争に先んじて存在していたというよりは、この長い戦争を通じてようやく形成されたといってよい[2]。その意味で英仏が中央集権的な国家となって生まれかわる一方で、諸侯、騎士の没落を促す戦争であった。
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この戦争ののち、イングランドでは「薔薇戦争」が起こって諸侯はさらに疲弊し没落する一方で、王権は著しく強化されテューダー朝による絶対君主制への道が開かれた。フランスでも、こののち宗教対立による内乱(ユグノー戦争)が発生したが、祖国が統一されたことで王権が伸張し、のちのブルボン朝による絶対君主制の基盤となった。

14世紀以降の戦乱の続発とともに、ペスト(黒死病)の流行もあって、当該期のヨーロッパの人口は減少したため、農民の地位は相対的に向上した。農民保有地の広がりもあいまって、農奴身分から解放された独立自営農民もあらわれはじめた。

第三には、上述した火器の使用があげられる。火縄銃のはじまりは15世紀末のヨーロッパで開発されたものと考えられるが、これは従来の戦法や戦争の様相を一変させてしまった。16世紀以降の戦争、なかでもドイツがその主たる戦場となった三十年戦争においてはアルブレヒト・フォン・ヴァレンシュタインのような戦争請負人が傭兵を集めて戦った。もはや、戦士としての騎士は必要とされなくなったのである。

第四は、大航海時代以降の世界の一体化にともなうアメリカ銀の西ヨーロッパへの大量流入による急激な物価上昇(価格革命)である。これにより、16世紀の西ヨーロッパは好況に沸き、商工業のいっそうの発展がもたらされたが、反面、固定した地代収入に依存する諸侯・騎士などの封建領主層はいっそう没落した。これに対し、東ヨーロッパでは、西欧の拡大する穀物需要に応えるために、かえって農奴制が強化され農場領主制と呼ばれる経営形態が進展した。

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2009年06月05日 09:10に投稿されたエントリーのページです。

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