ジャック・オッフェンバック(Jacques Offenbach, 1819年6月20日-1880年10月4日)は、ドイツ生まれでフランスで活躍(後に帰化)した作曲家/チェロ演奏者/オペレッタ作曲家である。ジャック・オッフェンバックは父親の出身地(ドイツ・フランクフルト近郊のオッフェンバッハ・アム・マイン)からとったペンネームで、本名はヤーコプ・レヴィ・エーベルスト(Jakob Levy Eberst)。オペレッタの原型を作ったともいわれ、音楽と喜劇との融合を果たした作曲家である。なお、ドイツ語読みでオッフェンバッハと呼ばれることもある。
ジャック・オッフェンバックは、1819年にケルンに生まれる。1833年に、チェロの勉強をしに、フランスのパリへ。演奏の傍ら、作曲活動を続け、1850年にテアトル・フランセの指揮者になる。後の1855年には自らブフ・パリジャンという劇場を作成。いくつものオペレッタを上演、人気を博す。1880年に没するまでに幾度もの演奏が行われた。爆発的な人気と反比例するかのように、痛烈な風刺、退廃的な快楽主義は知識人からの批判も多かった。エミール・ゾラは「オペレッタとは、邪悪な獣のように駆逐されるべき存在」とまで書いているが、今日では第三帝政期フランスを代表する文化のひとつとして歴史的評価も作品的評価も高い。
晩年はフランスでは一時の人気を失い、オペラ「ホフマン物語」に新生を賭けていた。死後には、各作品は彼自身が監修したウィーン版に源を発するドイツ語上演がフランスに代わって主流を占める(有名なオペレッタ「天国と地獄」序曲はウィーン版のためのオリジナルである)。特に戦後は東ベルリンでのフェルゼンシュタイン演出による「青ひげ」や「ホフマン物語」が歴史的な成功を収めた。近年は、ミンコフスキらによるオーセンティックなフランス語上演も急速に盛り返し、もともと上演の盛んだったドイツ圏とあわせ活況を呈している。生地のケルン歌劇場も、2006年に人気バリトン歌手ヴァイクルを演出に招いて「天国と地獄」を新制作したが、残念ながら不評で途中打ち切りとなった。目下はフランスのリヨン歌劇場などが上演に意欲的である。
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オペレッタ
オペラ・ブッフ「地獄のオルフェ(天国と地獄)」(1858年)
「ダフニスとクロエ」(1860年)
オペラ・ブッフ「美しきエレーヌ」(1864年)
オペラ・ブッフ「青ひげ」(1866年)
オペラ・ブッフ「パリの生活(ラ・ヴィー・パリジェンヌ)」(1866年) - 主要作では数少ない、現代(当時の)パリを舞台にした洒脱な恋愛コメディ。劇中のスウェーデン人に仮託してドイツ人が風刺されており、自身「パリのドイツ人」であったオッフェンバックならではの自虐ギャグとなっている。そのためか、なぜか一貫してドイツで上演人気が高い。オッフェンバックは「ジェロルスティン大公妃殿下」(ブン大将)」でもプロイセン軍国主義をなで斬りにしている。
オペラ・コミック「ロビンソン・クルーソ」(1867年)
オペラ・ブッフ「ラ・ペリコール」(1868年)
童話オペラ「月世界旅行」(1875年)
オペラ・コミーク「鼓手長の娘」(1879年)
「トトの城」
「羊飼い」
「フォルトゥニオ」
「ブラバンドのジュヌヴィエーヴ」
「小さなりんご(ポムダピ)」
「ジェロルスティン大公妃殿下」(ブン大将)」
「盗賊」
「可愛い香水屋」
「ため息橋」
「西インド諸島の女」
「10時間の外出」
「二人の漁師」
「ドニ夫妻」
「美しいリュレット」
「歌姫」
「サンフルールの薔薇」
「チュリパタン島」
「雪玉」
「パン屋の女将はお金持ち」
「白夜」
「ファゴット氏」
「ペロニラ先生」
「魔法使いの兵士」
「ニンジンの王」
「密告者」
「カカドゥ」
「ラインの妖精」
「66」
「コスコレット」
オペラ
歌劇「ホフマン物語」(1880年。未完) - オペレッタを多数残した彼の唯一のオペラ。「ホフマンの舟歌」が有名。
バレエ音楽
「パリの喜び」 - マニュエル・ロザンタールがオッフェンバックの代表作から選りすぐったメロディーをまとめたもの。1938年4月5日バレエ・リュッス・ド・モンテカルロによってモンテカルロ劇場で初演。